酪農業の町のイメージが強い上士幌町ですが、実は「熱気球の町」としても知られています。
そもそもなぜ熱気球の町として有名になったのか?また町民と熱気球の関わり方は?
今回は上士幌町役場の佐藤泰将さんに「熱気球の町上士幌」について伺ってみました。
恵まれた気候風土は、熱気球も育んだ!?
日本で初めて本格的な気球の大会を開催した上士幌町。今年で45回目を迎え、日本で一番歴史が古い大会となりました。なぜ上士幌町が熱気球の町として知られるようになったのか?その背景について佐藤さんに話を聞いてみました。
「熱気球の大会規模でいうと佐賀県で行われている大会が最大ですが、日本で一番古くから開催しているのは上士幌町で、今年45回目を迎えることができました。日本で一番歴史ある大会となりますね。(笑)
上士幌町に「熱気球の町」としてのイメージがあるとしたら、大会を長く続けてきたことが理由として挙げられるかもしれませんが、この町の気候風土もまた、上士幌町が熱気球の町として印象づいた理由の一つかもしれません」と、佐藤さん。
「本州と比較すると上士幌町は年間を通じて平均気温が低く、特に朝方は気温が下がるため、熱気球を飛ばすには最高のコンディション。また熱気球の着地場所として、収穫後の小麦畑が使えるのも夏の熱気球大会には好条件です。上士幌町では夏にのびのびと熱気球が飛ばせる条件が揃っているのも上士幌町が熱気球の町となった理由だと思います。」
子供たちの声から生まれたほろんちゃん気球。
町には「ほろんちゃん」というキャラクターがあります。町内の学校の入学式や、卒業式には着ぐるみが登場して式典に花を添えるなど、子どもたちを中心に町民に愛されているキャラクターです。2年前にほろんちゃんデザインの気球が誕生しましたが、そもそもなぜほろんちゃん気球を制作することになったのでしょうか?
「2016年にほろんちゃん気球を制作しました。きっかけは小学校の授業の一環として町長が子どもたちと話す場があったのですが、その時に子どもたちから「ほろんちゃんをデザインした気球を作ったらどうですか?」と提案があったのがきっかけです。ほろんちゃん気球の制作には、ふるさと納税の皆様からの寄附が活かされています。」
上士幌町の子どもたちの提案から生まれたほろんちゃん気球。
初お目見えの時には子どもたちもさぞかし大喜びしたはず。
「実はほろんちゃん気球が完成して初めての係留は上士幌町ではなく熊本でした。」と佐藤さん。
「当時、熊本県と交流があったのですが、ちょうどその時は熊本地震があり復興支援の一環として被災地の仮設住宅に住む子どもたちに、ほろんちゃん気球に乗ってもらいました。」
その後上士幌町の子どもたちもほろんちゃん気球と対面することに。
「町の小学生、1年生から6年生全員にほろんちゃん気球に乗ってもらいました。子どもたちの発案で誕生したほろんちゃん気球ですからその記念として全員に乗ってもらいたくて。
現在では町の小学校とこども園の卒園生を対象に、卒業記念として係留をやっています。
6年生の場合は必ず学校のグラウンドから気球を上げて、自分たちの育った校舎を見てもらっています。」
自分たちが通った学び舎を上空から眺められるのは上士幌ならではの貴重な体験。
きっと子どもたちの一生の思い出になっているはず。
最近では、町外からも係留体験の依頼が集まっているそうです。
「以前、隣町の士幌町佐倉小学校さんから係留体験の依頼がありました。日頃から交流のある、千葉県の小学生たちが士幌町に来た際に交流の一環として係留体験を実施しました。
普段気球に乗る機会は少ないですし、子どもたちにとっては夢があり、ワクワクする体験になったと思います。また子どもだけではなく、保護者の方も子どもたちを熱気球に乗せてみたいと思っている方が多いように思います。」
未来へ向けた想いも熱気球に乗せて。
町外からも係留体験の依頼がくるなど、全国的にも熱気球の町として知られるようになったいま、
少し先の未来を見据えた取り組みが動き始めているようです。
「現在、熱気球のパイロット数が減少傾向にあるため、2年前から町ではパイロットの人材育成を始めました。この施策により、2年前は5名、昨年は4名の方がパイロットの免許を取得しました。今後もこの事業は進めていこうと考えています。
免許を取得した方の中には、自分が育った母校の子どもたちを気球に乗せたいという思いでパイロットになった方もいました。」
人材育成は、基本的には町民を対象としているため、この活動を通して、係留体験をした子どもたちの中からも将来パイロットが誕生すると嬉しいですね。
子どもたちのアイディアから生まれたほろんちゃん気球が、今度は子どもたちの夢を叶えるきっかけになる。そんな流れができると素敵ですよね。
上士幌町では5年後に50回目を迎えるバルーフェスティバルへ向けて人材育成はもとより、もっと「熱気球の町」として成熟できるように様々な取り組みを進めていこうと考えています。